愛情と執着の区別がつかない人は、知らず知らず相手に執着しています。
実は、何か具体的な行動をしなくても、執着しているだけで相手を苦しめています。
ここでは、執着するだけでなぜ嫌われるのかご説明します。
愛情と執着
愛情とは、自分の利益ではなく相手の幸せを願い、いとしく思う気持ちです。相手の自由意志を尊重します。
執着は、自分の利益のために相手にこだわり、思い通りに動かそうとする粘着質な気持ちです。相手の自由意志を尊重しません。
こうして比べるとまったくの別物ですが、間違えている人はたくさんいます。
愛情と執着を間違える例
愛情と執着を間違えやすい関係性は、「親子関係」と「恋愛関係」です。
親子関係では、子どもが自立しないと愚痴を言いながら、実は自分が出ていってほしくなくて足止めしている親がいます。
恋愛関係では、相手の都合を考えずわがままを言って、言うことを聞かなければ愛されていないと拗ねる彼氏彼女がいます。
この人たちは相手を愛していません。ただ執着して、自分に都合よく操作しているだけです。
執着と生霊
何も言わずに執着しているだけでも、生霊が飛んでいった場合は、相手に実害が生じます。
執着をベースとして生まれた生霊に憑かれると、以下の実害があります。
- 精神的に不安定になる
- 体調を崩しがちになる
- 生霊に操作される
- 生霊の主に嫌悪感を抱く
それぞれ詳しく解説しましょう。
心身の異変
執着による生霊は、精神的不安定と体調不良を引き起こします。
人間は、自分と霊的な波長のあわないものが近くにいると、程度の差こそあれ心身に異変が生じるのです。
生霊は、低級霊にカテゴライズされます。浮遊霊・地縛霊なども、近くにいると心身に何らかの影響が出ます。
生霊に操作される
生霊は、憑依した人間を操作します。
執着による生霊の場合、相手の人間関係を操作することが多いようです。
自分以外の人と仲良くされたくない、自分を養ってほしい、一生そばにいてほしい……
生霊の主がこのような欲求を抱いていると、人と喧嘩しやすくなったり、生霊の主から離れにくい環境が整ったりします。
生霊の主に嫌悪感を抱く
生霊の主は誰か、霊感のない人にはわかりません。
にもかかわらず生霊の主に嫌悪感を抱く理由は、直感的に察知しているからです。
顕在意識では知らなくても、潜在意識では生霊の主を知っていて、本能的に避けようとします。
もしくは守護霊が、嫌悪感を抱くように仕向けていることもあります。
このままでは生霊に負けて、守護している人が大変なことになると危機感を抱いているためです。
守護霊は基本的に人間の自由意志を尊重します。このように介入してくるということは、相当にまずい状況です。
執着をやめていく
執着0%で生きている人などほとんどいません。
私たちにできることは、生霊が飛ぶほど執着しないように、身と心を正すことです。
具体的にやるとよいことを提案します。これは、縁結びをお受けになった方にもよく伝えていることです。
- 相手抜きで自分に目を向ける
- 相手のことを考えなくてもよい時間を作る
- 相手がいなくても生きていける人を目指す
- 自分の興味関心を、相手以外のものに分散する(仕事や趣味など)
誰かに執着している人にとっては、面倒なことかもしれませんね。
自分は何もしなくても、他者や霊術に頼ればすべてうまくいくとは思わないでください。
この世界にはルールがあります。神仏を含め、何ものもこのルールを逸脱することはできないのです。
自分の力の及ばないところは霊的な力に頼って、自分の力の及ぶところは自分で改善していきましょう。それが賢い生き方です。
さいごに
自分にとって重要なものにこだわって、手放したくないと思うことは、あたりまえのことです。
人間関係においても、執着すれば相手を自分の「所有物」にできるかもしれません。それも戦略のひとつです。
しかし、人間を物扱いする人は、本物の愛情や友情、家族愛を決して得られません。
雑草を抜きながら花を育てるように、執着する気持ちをできるだけ減らしつつ、愛情を育てること。
これが、お互いを幸せにするための近道です。